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ライオン(25年目のほう)

 前々から気になっていた映画があったので、夕方以降の時間が空いているし見に行こうと映画館に向かった。その映画館にはそこそこお世話になっているので、お礼じゃないがドリンクと何か食事を買おうと思い、チュトリスとウーロン茶のセットを選んだ。私が注文したシナモン味のチュトリスの調理済みのストックが無かったようで、少し待ってから渡されたのだが、いざ食べてみたら真ん中の方がヒンヤリとしていて、少し残念な気持ちになった。次はポップコーンを頼むようにしたいと思う。

 

 

 

 

「ライオン 25年目のただいま」を見てきた。

 

 

 主人公のサルーは、5歳の時にインドで迷子になった少年である。インドでいく度か危険な目に遭いながらも、収容された施設で運良く養子縁組をすることになりオーストラリアのタスマニアに移り住む。両親に愛情を注がれ立派に育ったサルーは、メルボルンの学校に通っている時、インド系留学生との交流のうちに自分のおぼろげな過去を思い出す。友人にGoogle Earthで故郷を探せると教えられ、幾度もPCに向かうサルー。血のつながった家族のことが何度も脳裏に蘇り、その家族に自分の無事を伝えたいと願うようになる。

 

 中盤まで、サルーと彼を取り巻くインドの様子が映される。5歳のサルーが「自分も力仕事が出来る」と言って兄の仕事に連れて行ってもらおうとする姿、ストリートチルドレンを連行する大人たち(子供たちがどこに行くのかは分からない)、サルーを助けた女性が人身売買の人間であり危険を察知して逃げたこと、児童収容施設の子供に対する乱雑で厳しい扱い、特に(恐らく)性的虐待の為に呼び出されたであろう同じ部屋の少年とその様子、等。

 見終わってから調べてたが、実話の施設は孤児だけでなく、犯罪を犯した少年たちも収容された少年院だったらしい。作中で寝起きするための大部屋に入れられた後、施設の大人が扉に鍵をかけるシーンで「ん?」と思ったのだが、そう言う子供も一緒くたになっていたのだと言うことを知って合点がいった。

 

 同じ部屋の少年は、同じく養子の弟マントッシュの人生でもあったのだろう。利口な子供であったサルーとは変わり、癇癪を起こし自分の頭を何度も殴って暴れ泣き叫ぶマントッシュの姿は、施設で何度も壁に頭をぶつけ、大人たちに連れて行かれる時に叫んで嫌がる少年の姿に重なる。実際に養子縁組が決まるまでの間に、マントッシュは苦しい生活をしていてトラウマを抱えたらしい。

 

 

 作中で一番印象的だったのは、やはり母の愛というものだったと思う。言葉にしてしまうと陳腐だが。作中でサルーは「生母を探すこと(だったはず)はママ(養母のスー)に対する裏切りだ」と言っていた。5歳から25年間育ててくれた母を前にして、インドの家族を忘れることが出来ない、探し出して会いに行きたい、というのは確かに言い出し辛い。今の家族を軽んじるように聞こえてしまうかもしれない。でもスーは気にすること無く受け入れるし、息子の姿を見せたいと言ってくれる。

 生母カムラも息子が帰って来ると信じて、ずっと同じ場所で暮らし続けていた。映画が本編の最後、実際のサルーとカムラ、そしてスーが顔を合わせそして抱き合う姿が流れる。映画の後にそれを持ってこられるとダメだ。泣いてしまう。

 

 奇跡的な再会に至るまでのサルーの苦悩、上手くいかない家族、その遠因であるインド社会などが描写がリアリティのある演技、演出によってより厚みを持っていたのだと思う。悲劇、不運、不幸とも言うべきものたちがあまり押し付けがましくなかったのもそのおかげかもしれない。上空から映したインド、タスマニアの大地がgoogle earthのオマージュであるという意見を見て「なるほど」とも思った。作品のスケール感を感じさせる手法であるとは何となく感じていたけど…。

 

 好きな作品になったし、見てよかったと思う。次の映画館は「夜は短し歩けよ乙女」を見に行く予定だ。

 

 

 

※4/28  恋せよじゃなくて歩けよでした