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オデッセイ

 色々あって見たものの記録をした方が良いということになり、こうして筆をとる。

 今日はこれからTSUTAYAに言って借りたDVD/BDを返さなくてはいけない。だが、4枚中2枚しか見ていない上、その2枚のうち片方は過去に視聴済みだったこともあり半分見て満足して終わってしまった。タイトルは『ラストサムライ』である。

 結局、唯一ちゃんと見たと言える1枚が、記事タイトルの「オデッセイ」だ。1度しか見ていないので不確かな部分もあるが、もう見返している時間もないので取りあえず覚えている範囲で感想を書く。(また借りてくれば良いのかもしれないが、私の性格からして借りてきても見るかどうか自信が無い。)備忘録でもあるのでかなりネタバレしている。

















 物語は火星で始まる。主人公のマーク・ワトニーはNASAの宇宙飛行士で、<アレス3ミッション>をこなすクルーの一人だ。彼を含めたクルーの6人は、ミッションの遂行中に火星の大規模な砂嵐に遭遇する。船長はミッションを放棄し火星を脱出することを決断するが、退避の途中、暴風で折れたアンテナが飛んできて、ワトニーはアンテナ共々吹き飛ばされる。嵐の中ではワトニーを見つけることは困難、かといってそれ以上留まれば全員に待つのは死しかない。(記憶違いでなければ、ワトニーの生命を示す信号も途絶えていた。)クルーたちはマークを死亡したと判断して、彼を置いて宇宙へ飛び立った。

 しかし、ワトニーは死んでおらず、基地になんとか戻って自分にブッ刺さったアンテナを引っこ抜いて治療、残された物資を確認して自分の命の期限を悟る。が、悲嘆にくれるのはほんの少しの間で、すぐに「こんなところで死ねるか」と行動を起こす。


 ここまでが大体の冒頭だ。


 ワトニーは自身の専門である植物学を中心に待てる全ての知識を生かして、4年後の<アレス4ミッション>で再び火星に人間がやって来るまでどうにか生き抜こうとする。

 具体的に言うと、感謝祭の為に取ってあったジャガイモを見つけて、火星の土とこれまでのクルーのウ○コをでそれらを育て始める。育てる為に水が足りないのでそれを作る装置を作る。ジャガイモ収穫してまた育てながら、4年後のクルーの着陸地点まで向かうためにテストを繰り返す。かつて火星に落とされたパスファインダーを回収して地球との通信を図る。(この時、地球側も火星を観測する衛星に映された様子からワトニーの生存を確認、彼の目的を察知して動く。)

 火星でのシーンは生存のための活動の様子と、記録のためにモニターに話しかけるワトニーで占められるが、彼はこの状況で冗談をとばしまくる。地球にいるNASAの人々や彼を置いていったクルーたちが重苦しい雰囲気を漂わせている時、ワトニーは大音量でディスコミュージックをかけながら「船長が残していった音楽の趣味が最悪で死にそう」とか言ってるわけだ。

 状況はめちゃくちゃ悲惨だけど、作中のワトニーはかなり前向きなのだ。悲嘆する場面はほとんど無い。問題しか無い状況でそれらを解決するために動く。一つが解決すれば次の問題に取りかかる。それを繰り返していく。

 ストレスの少ない話運びも、度々かかるディスコミュージックも、生と死の狭間のギリギリの緊張感とか、極限状態の苦悩とかを求めている人には合わないはずだ。試練ももちろんあり、ワトニーがやり場の無い思いを爆発させるシーンもある。が、やっぱり割とすぐに動きだす。しょうがない、そうしないと死んでしまう。

 私には、どんな状況でも明るく、笑いを忘れず、そして知識をもとに考えて確実に問題を解決していくその様子が、すごく羨ましく、格好良く映った。そう言う人になりたいという憧れすらある。

 この文章を書いていて、自分の過去を思い出す。東日本のあれやそれだ。あの年に私は福島のとある場所で高校生になった。家は波にさらわれた。でも、割とすぐにみんなそのことをネタにして冗談を飛ばしたり、笑ったりしていた。いつ家に帰れるのか分からない新しい友達も母親のママ友もそうだった。私の周りの何か失った人はほとんどそうだったように思える。(もちろん、人の生死に関してそういうことをいう人はいなかったけど。)この手のネタは相手を選ばないと空気が凍り付いて相手は必ず「あ…ごめん」「バカお前!」というやりとりが起こるので、もっぱら失ったもの同士で起きていた。

 どうなってようが取りあえず生きていかなきゃいけないのだから、笑いにしてしまおうとしたのかもしれないし、笑わないと生きていけなかったのかもしれない。ワトニーにもそういう心があったんじゃないかと思う。

 そう考えると、ますますワトニーのようになれれば良いなと思う。ワトニーのようにと生きていたら、楽しくて充実した生き抜き方をできるような気がする。そして誰かに力を与えられるようになるのかもしれない。